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2009年06月15日

エルボーの貴公子

三沢光晴は2代目タイガーマスクとしてデビューした。

その活躍は素晴らしいもので皆の期待以上のものだった。

しかし、後に三沢はリング上で自らの手でマスクを脱いだ。


マスクを脱いだ理由。


タイガーマスクのイメージが強すぎて自分のプロレスが出来ない。


上を目指すならマスクを脱いだ方がいいと思った。


けしてタイガーマスクというプレッシャーに負けた訳ではない。

タイガーマスク以上に三沢光晴になりたかったんだと思う。

タイガーマスクは体重が軽いジュニア級。

三沢はマスクを脱いでベビー級を目指した。

プロレス界のトップになるために。


YouTubeなどで、三沢が亡くなった日の色んなニュース番組を見た。


各テレビ局みな
『元タイガーマスクの』
みたいな言い方をしてる。

正直、俺はこれはいまいち気分がよくない。

そりゃまぁそれが一番分かりやすく、知名度もあるのかもしれないけど。

ただタイガーマスクで終わりたくなく、三沢光晴になりたかった三沢の気持ちを考えると。



マスクを脱いだ三沢は『超世代軍』というグループを結成した。

世代交代をしめす若手の集まり。

三沢光晴、川田利明、小橋健太、菊地毅。

そこから三沢光晴は俺の期待の星になった。

プロレスラーのベビー級としては決して大きくはない。

でも、そんな三沢が自分よりも大きく完全無欠と言われるジャンボ鶴田に向かっていく姿に俺は勇気をもらった。

ジャンボに勝てるのは三沢しかいない。

その少し前に、全日本プロレスは天龍源一郎が大量の選手を引き連れて脱退して、崩壊の危機にあった。


その崩壊の危機を救ったのが若きエース三沢光晴だった。


あのジャンボ鶴田をエルボーで失神させたり。


三沢は絶対に期待を裏切らないプロレスをしてた。


そしてついには三沢はジャンボに勝った。


そこが三沢時代のスタートだったと思う。


そこからの三沢はエースとして試合を魅せる。

スタンハンセン、テリーゴディ、スティーブウィリアムス、数々の強敵を相手に三沢は勝ち続けた。


そして最後にはいつもスパルタンXが流れてた。
  


Posted by 320R at 11:25Comments(0)